惰生

新しく始めたゲームとアニメ。名残の友人。剥がれたマーチン。長崎の小旅行。謎の水月痛。三度目の正直。

もう力が出ない。

例えばそれが愛でもいいと思う

恐らく歯車と化してより最も業務に殺された加齢週。忙しいとは長いものを綴る気力が無くなることだとつくづく思った。

とはいえ餓鬼の頃以来の名入りのケーキ。友人の結婚式の受付で巡る想い。フォールアパートしたチェスター。最近口癖というか突込が似てきた。これが一年か。

another side of 17/06/18

一般(?)向け感想、以上。検索ウケを狙ってたまには真面目に書いてみますた。後は好きに語ります。笑
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上杉昇「SHOW WESUGI 25th anniv. LIVE black sunshine Φ」@都久志会館 06/18

上杉昇。元WANDSのボーカリストとして、アラサーの良心的音楽リスナーならばその名を知らぬ者は皆無であろう。ましてや僕のような雑食の音楽ファンにとっては、彼はまさしく神の如き存在のシンガー。彼をはじめ黄金時代のbeingミュージシャンたちからロックの洗礼を受けた、僕のようなものにとっては。

大衆向けのポップスと己の求める音楽の間で砕かれた魂が哀しくも煌めくWANDSの"PIECE OF MY SOUL"('95)、脱退後の本領発揮な世紀末オルタナティヴ、al.ni.coの"セイレン"('99)。ロックとしてのベクトルこそ異なるが、この2枚の名盤はリアルタイムで触れた十代の頃からいつも僕の心の側にあった。

そんなロックの求道者としての彼に憧れ、その後の活動もそれなりに追っていたファンからすれば、ピアノとギターとストリングスのアレンジという今回のライヴスタイルは意外といえば意外ではあったけれど、YouTubeに上がっていた動画を観、あの頃と変わらぬ声の存在感に参戦を決めたのだった。

あの艶、あの歪。やっと触れられた。この声である。オープニングであったal.ni.coの名曲「prayer」からその圧倒的な力は存分に披露されたが、それ以上に驚いたのはアレンジのオリジナル感。WANDSのそれにしろ、歌唱は勿論のこと名手gt.柴崎浩の手癖やノイズすら可能な限りに再現されていたように感じた。数々のバンドでその辣腕を振るう友森昭一氏の力もあろうが、そんなわけで想像よりは破壊的ではなかった厳かなステージングに、僕より上の年代の方も多かった観客たち各々の二十数年に積もり積もったノスタルジーは、否応なしに蔓延する。

それを知ってか知らずか、彼のキャリア中でも比較的ダークサイドな選曲で公演の進む中、「俺が昔演ってたWANDSって知ってる?」などという戯けたMCから披露されその日一番場が沸いたのは−−やはりと言うべきか−−旧い名曲「星のない空の下で」、ではあった。けれど。会場限定シングル収録のカバー「アンダルシアに憧れて」の伸びやかな歌唱にも感じるが、彼の声はポップスにも確かに非常に合うのだった。彼の崇拝するであろうアクセルとカートのいいとこ取りとも言える、類稀なその美声は。

あの頃のように静も動も歌い熟す声の力、それが今でも彼の愛される所以であろう。名演でした。
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順不同セトリは愛の順。一曲分からない日本語歌詞のものがあったなぁ。
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TNG35

精の根も尽きた社灰燼の週末、帰省の悪友Sと酒。かつて幾千の夜を呑み明かしてきた僕らでも、サシとなると互いのマリッジを挟んで二年振りの席。合間合間何かと逢ってはいたのだが、何処かひどく久しい心地であった。開始数分で盛り上がったのは互いの生命力の低下について。酒が。風邪が。青痣が。だからよ。

花金に沸く天空の麦酒庭から眼下には奇しくも母校。彼処でティーネイジャーの若い僕らは出会ったのだ。あれから最早廿年。不可逆の時間と不可避の劣化を厭いながら、それでも心と体の老いは同位ではないと願いながら、あの頃と変わらないはずの与太話を打ち合う二人。

誰もが毎日何かにクサクサしている社会で、灰燼は灰燼に。腐臭は腐臭に。生きているならばそれだけで救いだ。丗五の中年へ。前月の良晩。